聖書ブログ

聖書のことを中心に書かせていただきます。引用は新改訳聖書第二版です。よろしくお願いいたします。

パウロの受難(週)

<大勢の群衆が「彼を除け。」と叫びながら、~(使徒21:36)>

上記の聖句は、パウロが、ルカたちが引き留めたにも関わらず(使徒21:12)、エルサレムに上り、案の定、群衆たちに見つかり、群衆から罵倒された箇所である。
この後、捕縛され、議会等で弁明を繰り返すこととなる。

使徒行伝二十一章からの流れをパウロの受難と言う人がいる。
受難週のイエス様と展開が似ているからである。
イエス様の場合は、エルサレムに上り、捕えられ、ユダヤの議会にかけられ、ローマ総督の裁判を受け、<この人を除け。(ルカ23:18)>と群衆から罵られた。
また、イエスに興味を持っていたヘロデ(ヘロデ大王の息子)と会ってもいる。
パウロの場合は、順序はやや異なるが、エルサレムに上り、捕えられ、冒頭の聖句にある通り<彼を除け>と群衆から罵られ、ユダヤの議会にかけられ(23章)、ローマ総督の裁判を受けた(24~25章)。
また、パウロに興味を持ったアグリッパ王(ヘロデ大王の曾孫)と会ってもいる。
エルサレムに上り、群衆から非難され、ユダヤの議会にかけられ、ローマの裁判を受け、ヘロデ一族から興味を持たれている点で、イエスの受難と一致している。
この後、イエス様は十字架に架かられるが、パウロの場合はローマへの船旅(27章)で、水の中をくぐって、死とよみがえりの疑似体験をする。

ルカは、福音書と使徒行伝で、群衆が、同じ<除け>という言葉で罵っていたと伝えることにより、パウロもまたイエス様と同じ道を歩もうとしている、と言おうとしているのかもしれない。(なお、ヨハネの福音書も「除け」という言葉を使っている。)

選ばれしキリスト者は、イエス様と同じ苦難の道を歩むのだろうか。
私は、福音書でイエス様が受けたどの苦しみなら耐えられるだろう。