聖書ブログ

聖書のことを中心に書かせていただきます。引用は新改訳聖書第二版です。よろしくお願いいたします。

モーセの墓

<主は彼をベテ・ペオルの近くのモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知った者はいない。(申命34:6)>

モーセは百二十才で地上生涯を閉じている。
約束の地、カナンを目の前にして、生涯を終えるのである。
モーセが<イスラエル人の中で、わたしに対して不信の罪を犯し(申命32:51)>たためである。
すなわち、岩に命じれば水が出るとの仰せに対し、岩を叩いて水を出したメリバの水(民数20章)の件についての不信罪に問われてしまったのである。
正直、厳しい裁きの印象を受ける。
旧約において、モーセほど、神と民の間で、板挟みに苦しんだ人物は見当たらない。
言い方はあれだが、中間管理職の悲哀をこの上なく味わった旧約の聖徒と思われる。
実際、私がモーセの立場だったら、と想像すると具合が悪くなってくる。

聖書では、聞かれなかった三つの大きな願いがある。
一つ目はこのモーセのカナンに入りたいという願いであり、二つ目はイエス様の十字架を取り除けてくださいという願いであり、三つ目はパウロの肉体のとげを取り除いてくださいという願いである。

モーセは、カナンにどれ程、入りたかっただろう。
<わたしは、そのとき、主に懇願して言った。(申命3:23)>とある。
荒野の地で四十年、神と愚かな民の板挟みに苦しみながら、褒美なしで地上生涯を終えるのだ。しかも、約束の地、カナンを目の前にしてである。
確かに、カッとなって岩を叩いたのはまずかったが、こんな厳しい懲らしめがあろうか。
しかし、本当にひどい終わりだったのだろうか。

冒頭の聖句では、墓のありかがわからないというが、ユダの手紙に以下の言葉がある。
<御使いのかしらミカエルは、モーセのからだについて、悪魔と論じ、言い争ったとき、~(ユダ9)>
つまり、モーセの亡骸をサタンは欲しがったのである。
おそらくサタンは、モーセが葬られ、モーセの墓が建てば、イスラエルの民にモーセを拝む偶像礼拝の罪を犯させることができると考えた。
返す刀で、父なる神にこの罪について訴えるつもりだったのではないか。
それゆえ、ミカエルはモーセの亡骸を引き渡さなかった。

さらに、福音書には以下の記述がある。
<~モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。(マタ17:3)>
福音書の時代はイエス様が十字架に架かる前であるから、旧約の聖徒たちはいわゆるハデスのそばのアブラハムのふところ<ルカ16章>にいると考えるのが、自然な解釈のように思える。
しかし、ここでエリヤと共に地上に現れているところを見ると、モーセは死後、葬られたのち、御使いミカエルによって亡骸ごと密かに天に引き上げられた、と想像できる。
もし、そうだとすると、モーセは確かに地上のカナンには入れなかったが、もっと良いところ、すなわち天に行ったということになる。
父なる神は、モーセに、最高責任者としてカナンの地に入れないという厳しい刑罰を与えられたが、いわゆる裁きの後の祝福で、天上に速やかに引き上げた。
神は、彼の地上での苦労を決して無にはなさらないだろうから、上記のことがありうると思うのは、私だけだろうか。

なお、エリヤは、再臨の際、生きたまま天に引き上げられる聖徒の型、モーセは、再臨の際、よみがえって天に引き上げられる聖徒の型、と言われている。

さて、モーセは、イスラエルの民を約束の地カナンの縁まで連れてくることは出来た。
しかし、民を引き連れてカナンに入るのは、後継者ヨシュアである。
モーセ(律法)は救いの縁までの案内人、実際に民を御国に導き入れるのはヨシュア(イエス)である。
ヨシュアをギリシャ化した名前がイエスである。

参考文献 「旧約聖書講解」 米田豊