聖書ブログ

聖書のことを中心に書かせていただきます。引用は新改訳聖書第二版です。よろしくお願いいたします。

イエスキリストは観音菩薩ではない

<イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら(マル3:5)>
<イエスはかわいそうに思って、~(マタ20:34)>
<イエスは、聖霊によって喜びにあふれて(ルカ10:21)>
<イエスは深く恐れもだえ始められた(マル14:33)>

このように、イエス様は喜怒哀楽がはっきりしているお方であることがわかる。
いつ仰ぎ見てもにっこり笑っているお方ではない。
いつでもにっこり穏やかなら、それは観音菩薩である。
私が罪を犯したとき、イエス様を仰ぎ見たら、イエス様は微笑んでいるだろうか。
怒ったり、憂えたり、悲しんだりなさるのではないだろうか。

また、<イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ、サタン。(マタ16:23)>とあるように、たとえ一番弟子であっても、あなたは悪魔だ、と強い調子で叱責し、退けることもあるお方である。
時の権力者ヘロデに対しても、臆することなく、<行って、あのきつねにこう言いなさい。(ルカ13:32)>と仰るお方でもある。
親しい人にも、権力者にも、言うべきことは遠慮されずに仰るのである。

イエス様は、決してただ優しいだけのお方ではない。
私は、今、自分に言い聞かせているのである。
イエス様をいつでもにっこりの観音菩薩のイメージで見てしまうことがあるからである。