聖書ブログ

聖書のことを中心に書かせていただきます。引用は新改訳聖書第二版です。よろしくお願いいたします。

ダビデの自己回復

<主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか(詩13:1)。>

詩編でのイエス様、天の父、聖霊様、すなわち三位一体の神は、さながらカウンセラーが行う「傾聴」の態度で臨んでおられる印象を受ける。
ダビデを始めとする聖徒たちの苦悩にほとんど口を挟まず、黙って聞いてくださるのだ。
ダビデの思いを、受け入れるでもなく、拒むでもなく、アドバイスを送るでもなく、慰めるのでもない。
ただただ、黙って聞いてくださるのだ。
やがてダビデの心は、少しづつ自己回復していく。
1、2節ではただつぶやいているだけであるが、3節に入って、積極的に願いを言い表すようになった。
<私の神、主よ。私の目を輝かせてください(3節)。>。
冒頭で、ある程度、愚痴を吐き出すことによって心が落ち着きを取り戻したのだろう。
そうして最終的には、ダビデは救いの確信にたどりつく。

<私はあなたの恵みに拠り頼みました。私の心はあなたの救いを喜びます(詩13:5)。>。
1、2節で嘆いていたダビデは、5節ではもう喜んでいる。
その間、神は何もされていない。
ただただ、ダビデの思いを天から御覧になっているだけである。
しかし、私はこう思う。
生まれたての小鹿が、足をふらつかせながら懸命に立ち上がろうとしているとき、傍の親鹿は祈るような気持ちで見守るように、三位一体の神もそうなのではないかと。
ダビデが自分の足で立ち上がるのをじっと待っておられるのだ。
ダビデは見事に<あなたの恵みに拠り頼>む決断をし、<あなたの救いを喜>ぶ先取りの感謝にまで至った。すなわち立ち上がったのだ。
そうしてダビデは最後に気付く。
<主が私を豊かにあしらわれた(6節)>ことを。