聖書ブログ

聖書のことを中心に書かせていただきます。引用は新改訳聖書第二版です。よろしくお願いいたします。

エデンの園に表れた十字架

<神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。(創3:21)>。

ここに皮の衣を着せて下さったとある。
アダムとエバは、自分たちでこしらえたいちじくの葉では神に受け入れられなかった。
神の用意した皮の衣によって受け入れられたのである。
皮の衣を「作った」ということは、罪のない動物が屠られ、血が流されたことを意味している。(無から新しく創ったのであれば、「創った」になるだろうから。)
おそらく羊が屠られたのだろう。
やはり罪の赦しには犠牲が伴なうことを聖書は伝えている。
アダムとエバは、神の用意した動物の皮で全身を覆って、初めて神に受け入れられ、また、自分を受け入れることができた。
自分たちの行い(いちじくの葉)では、受け入れられないのだ。
さらには、善悪で(善悪の木の実を食べて)自分を評価すると全てが恥ずかしく思えるから、全身を覆う必要があったのかもしれない。
しかし、動物の犠牲では完全ではなかったのか、エデンの園からは追い出されてしまった(3:23)。

だが、動物の犠牲にはるかに優るイエスの犠牲は、我々を完全に赦すことが出来る。
<傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によっ(Ⅰペテ1:19)>て救われるのだ。
そうして、不完全な動物の衣ではなく、<主イエスキリストを着(ローマ13:14)>て日々を歩んでいく。
この真の衣は、やがて来る完全なエデンの園と言っていい天の御国に導き入れることが出来る。

だから、この皮の衣は、イエスキリストの十字架の予表と言える。
創生の始めより、罪の赦しには身代わりの犠牲を必要とすることを聖書は伝えている。