聖書ブログ

聖書のことを中心に書かせていただきます。引用は新改訳聖書第二版です。よろしくお願いいたします。

渥美清の遺言

ユーチューブで「渥美清の伝言」と検索すると、ある動画が出てくる。
めったにインタビューを受けない俳優の渥美清さんが、NHKの番組を引き受けたものだ。
渥美さんと言えば、映画「男はつらいよ」シリーズで車寅次郎を演じた国民的大スターである。ご存知の方も多いであろう。
この番組は、自らの死期が近いことを悟った渥美さんが、遺言代わりに引き受けたのではないかと、監督の山田洋次さんが仰っている。
その中で渥美さんは以下のように吐露している。(私なりの意訳ですが。)

「スーパーマンを演じた役者が、撮影中、子供たちから『空を飛べ、飛べ』と言われるけれど、実際は飛べないよね。あれは針金で吊ってるんだから。同じように、寅さんも、笑って笑ってとお客さんから言われるけど、実際ずっとは無理だよ。僕は寅さんで愛想をふりまきすぎてしまったのかもしれない。」

「夢見心地でバカばっかり言っている僕に、サラリーマンは無理だよ。工場に行ったって役には立たず、すぐ『お前なんかいらないよ』って言われるだろうね。でも、寅さんを演じていると、みんなから必要とされたんだ。それが嬉しくてね。」

渥美さんは、プライベートを徹底して見せなかったことで有名らしい。
親しいスタッフでさえ、自宅がどこにあるかを知らないという。
「徹子の部屋」というトーク番組があるが、それにも一度出たきり、その後はいくらオファーしても断られたという。(渥美さんと黒柳さんは仲良しと聞くが。)
素の自分を知られて周りをがっかりさせてはいけない、と考えられたのだろうか。
渥美清さんの本名は田所康雄というそうだ。
渥美さんは、最後に、田所康雄としての思いを、すなわち、本当の自分を少しでも大衆に知ってもらいたく、この番組を引き受けたのではないだろうか。
山田洋次監督が仰るように、遺言代わりだったのだろう。

さて、これから話すのは私自身のことである。
私も渥美さんと同様、他者から必要とされれば嬉しい。
それゆえ、精一杯、他者が求める自分を演じるけれども、そのような自分を演じれば演じるほど、素の自分と乖離してストレスを感じてしまう。
だからなるべく素の自分でいたい。
かといって素の自分を皆が受け入れてくれるだろうか。
素の私は、大変自分勝手な男である。
以下で言われるユダヤ人と似ている。

<わたしは、いつまでも争わず、いつも怒ってはいない。
わたしから出る霊と、わたしが造ったたましいが衰え果てるから。
彼のむさぼりの罪のために、わたしは、怒って彼を打ち、顔を隠して怒った。
しかし、彼はなおそむいて、自分の思う道を行った。
わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。
わたしは彼を導き、彼と、その悲しむ者たちに、慰めを報いよう。
(イザ57:16~18)>

この聖句は、どこまでも神に逆らい、挙句、国土を失い、バビロン捕囚の憂き目にあっているユダヤ人に、神が語った慰めの言葉と言われている。
あくまで自分の思う道を行き続け、ついにバビロンの虜となったユダヤ人に、神が根負けして折れてくださったと、この聖句は伝えている。

このユダヤ人の姿が私の素の姿だろう。
どこまでも<なおそむいて、自分の思う道を行>くのだ。
なんとか好き勝手に生き、そんな自分を受け入れてもらおうと願うあきれた男である。
すなわち、私もユダヤ人と同様、自己中心の虜であり、もっと身勝手なバビロン人の奴隷と化しているのである。
これでは、おそらく皆から受け入れてはもらえないだろう。

この聖句は、自己中心の虜となって苦しむすべての者に語られていると解釈してよいから、この私に対しても語られていると取れる。
すなわち、神は、ユダヤ人と同様、強情な私に折れて<彼をいやそう>と仰ってくださったということだ。<彼を導き>ともある。
私自身、どれ程この聖句に安んじただろう。
あくまで好き勝手を貫く私に譲歩して下さり、癒し、導いて下さるとは。
他人はそんな私を受け入れてはくれないだろうが、神は譲歩してくださったのだ。
このような訳で、私はこの神の譲歩に感謝し、神の導きに委ねつつ、成長したいと願う者である。
素の自分が、神の譲歩によって赦されてはいるが、素の自分は成長しなければならない。
もし、今後、この神の赦しを乱用し、神の導きに逆らい続け成長もしなければ、私の救いが取り去られることは、ありうることである。

なお、神の究極の譲歩が、罪の虜となって苦しむ全人類への、神イエスキリストの十字架であるのはいうまでもない。

渥美さんは、大衆の笑顔のため、他者に喜ばれる寅さんを演じ続けた。
一方、素の田所康雄はどんな方だったのだろう。
この番組だけでは知りうる限界がある。

田所さんは亡くなる間際、カソリックの病床洗礼を受けられたという。
田所さんの奥方は、キリスト教カソリックの信者なのだそうだ。
田所さんも、素の自分を神に赦してもらって旅立たれたのだろうか。