聖書ブログ

聖書のことを中心に書かせていただきます。引用は新改訳聖書第二版です。よろしくお願いいたします。

ごはんがお腹一杯食べられる国

随分前のことになるが、テレビで前大阪府知事の橋本徹氏と木村太郎氏の対談を見た。
木村氏と言えば数々の報道番組でキャスターを務めた方である。
そこで木村さんが興味深いことを仰っていた。
「私の幼少期は、戦争で国中に食べ物がなくて本当に苦労した。どれ程、御飯がお腹一杯食べられたらと思ったことだろう。だからなんとしてでも日本を御飯がお腹一杯食べられる国にしたかった。そして我々世代は戦後一生懸命働いて、それを実現した。
今では日本で食べ物に困ることはない。だから、僕はもう満足だ。
ゆえに、これから日本をどういう国にしたいのかはあなたがた若い世代が自分で考え自分で作り上げていきなさい。」
確かこんな内容だったと思う。
私はこれを聞いて、すごく納得したことを憶えている。
木村さんと私の父はほぼ同世代なのだが、同じようなことを言っていたからだ。
「お前らに食べ物の苦労だけはさせたくなかった。俺は芋はもう見たくない。
子供のころ、食べるものがなくてまずい芋を嫌というほど食った。」
確かに、私は食べるものに困った記憶がない。
親父は家ではいつも母に怒られていてなかなかリスペクトできないが、この点に関しては本当にリスペクトしている。
そのくらい、親父は私たちを食べさせるために朝から晩までよく働いていた。

私の父や木村さんのような人が日本に多かったからだろうか。
戦後、日本は超がつく経済大国になった。
いまでは24時間営業の店も増え、行けばたくさんの食材があふれている。
外国の珍しい食材まで置いてある。
日本はほぼ食べ物に困ることはなくなった。
しかし、ある飢饉が浮き彫りになることになる。

霊的飢饉。
自殺大国日本と言われて久しい。
これだけ物質的に裕福でも幸せとは限らないと、この国の自殺者数が如実に語っている。
物質だけでは限界があることを否が応でも認めざるを得ないところにきている。
<人はパンのみに生きるにあらず(マタ4:4)>という言葉のとおりである。
日本ほど心の問題を浮き彫りにしている国は他にないのではないだろうか。

ただ、前向きな言い方もできる。
平和だからこそ心の問題に取り組めるのだと。
食べ物の問題がないからこそ心の問題に取り組めるのだと。
私の祖母がこんなことを言っていた。
「私たちはその日その日食べていくことで精一杯で自分の内面を考える余裕はなかった。戦争もあったし。」
ある意味、今日の私たちが、自分探しだとか、セルフイメージ、承認欲求など、心の問題に取り組めるのは、日本が平和だからと言える。
戦争等、危急時に、内面を見ている余裕などないだろうから。

実は聖書の福音書の時代のイスラエルも、今の日本と似ていたように思う。
平和であること、食料飢饉がないこと、宗教の自由が認められていた点においてである。
福音書当時のイスラエルは、「パックスロマーナ」といわれる、世界史上まれにみる平和の時代であった。
地中海周辺はローマ帝国の圧倒的な軍事力によって平和が保たれており、属国のイスラエルも収めるべき税を収めれば宗教の自由も認められており、ある意味過ごしやすい時代だったといえる。
そんな中でイエスは平和の君として地上に降臨された。

一方今日の日本は、軍事的には四方を海に囲まれていることもあって、隣国から攻められる心配はほぼない。
政治的にはアメリカの傀儡政権のようではあるが、世界有数の治安のよい過ごしやすい国である。
経済的には上記で触れたように、超がつく経済大国である。
宗教的にも自由が認められている。
日本とイスラエルはこの点で似ていないだろうか。

しかし、政治、経済、宗教的に恵まれていても、この両国のこころに真の安息があるとはいえない。
イスラエルの場合は、律法主義の閉塞感で国中満ちていたように思う。
日本の場合は、なんとも言えない虚無感から自殺を図る人が多数存在する。
だから、まさに今の日本に必要なのは当時のイスラエルと同様、イエスキリストではないだろうか。
真の安息が何かを伝え、それを与えるキリスト。
このお方が必要なのではないか。
繰り返しになるが、これは軍事的、政治的に平和だからこそ、経済的に豊かだからこそ考えられることなのだ。
戦争の最中、食料危機の最中であれば、こころの問題など二の次になるのだから。

初臨のイエスは霊的メシヤとして降臨された。
すなわち、全人類が抱える根本的問題、罪と死の問題の解決のためである。
なお、軍事的政治的メシヤとして訪れるのは再臨のときである。
とにかく、どれ程、地上で平和に幸せに暮らしたとしても、神との交通が途絶えているなら、閉塞感や虚無感から、真の平安は期待できないのである。
日本人のこころに真の平安がないのは、イエスキリストとその父なる神を知らないからである。
それは当時のイスラエルも同様である。
我々クリスチャンはこのお方を伝える義務がある。

冒頭の言葉に戻るが、木村さんの世代の働きにより、日本は経済的問題はほぼ解決しており、食べ物に困ることはまずない。
では、これからの日本をどのような国にしていけばよいのか。
それは、霊の糧を全国民に供給する国にしていくことではないのか。
真の意味でそれを可能にする唯一のお方がイエスキリストであるのは、上記で申し上げたとおりである。
我々世代とりわけクリスチャンは、このお方を伝え、日本を広くイエスを信じる国にしなければならない。
それが、我々世代がやらなければならないことである。