聖書ブログ

聖書のことを中心に書かせていただきます。引用は新改訳聖書第二版です。よろしくお願いいたします。

クリスチャンに与えられたセルフイメージ

クリスチャンに与えられたセルフイメージとはどんなだろうか。

聖書が伝えるセルフイメージを示すと以下のようになるだろうか。

キリスト者は、法律的には、神から<価なしに義と認められ(ローマ3:24)>て正しい者とされた義人であり、経済的には、神の<全財産の持ち主(ガラ4:1)>である相続人であり、軍事的には、肉と世と悪魔とその軍勢と戦う<キリスト・イエスの立派な兵士(Ⅱテモ2:3)>であり、また、それに勝利した<圧倒的な勝利者(ロマ8:37)>であり、家柄的には神の家に属する<神の子ども(ガラ3:26)>であり(それゆえ、例えば、名門ハプスブルグ家の御曹司どころのはなしではない)、内面的には、汚れをきよめられ<聖なる者とされ(Ⅰコリ6:11)>、また、<神の御霊を受け(Ⅰコリ2:12)>た者であり、階級的には、<私たちを王とし(黙示1:6)>てくださり、しかし、消極的に言えば、盲目で弱い羊のような存在でもある。
その他、地の塩、世の光などもある。

このように見ていくと、クリスチャンがいかに凄い存在であるかがわかる。
まったく正しく、超がつく大金持ちで、最高の家柄で、世を支配する支配者などというのである。
これらを、ただ、信仰により受け取れるとは、驚くべきことである。
もちろん、わたしたちは裸の王様ではない。
神が言っているのだから、本当にそうなのである。

私自身について言えば、調子を落としているときには、義人、相続人などの前向きなセルフイメージで自分を奮い立たせ、勢いがついているときは、羊のような無力な存在でもある、と言い聞かせて、ブレーキをかけることがある。
逆に、調子を落としているときに、羊のような無力な存在だから仕方がない、といって受け入れて安んじ、勢いがついているときに、圧倒的勝利者なのだから当然、といって喜びを増し加えることもある。

今後、どのように変わっていくかは自分でもわからない。
あるいは、変わらないかもしれない。